〈鹿児島昆虫同好会 2002年2月例会 資料〉

日本列島におけるヤドリバエの一種 Nealsomyia rufella (Bezzi, 1925)の寄生による
オオミノガ Eumeta variegata (Snellen, 1879)の絶滅危惧状況について

(調査協力者への私信情報)

「九州大学大学院比較社会文化研究科  三枝 豊平」を金井が改変



目次
1.オオミノガについて
2.オオミノガとチャミノガ
3.オオミノガの寄生バエの発見
4.福岡市におけるオオミノガの絶滅への経過
5.他の地域での状況
6.オオミノガヤドリバエについて
7.オオミノガヤドリバエの疑問点
8.オオミノガはなぜオオミノガヤドリバエによって絶滅されるのか
9.オオミノガの復活の道


1.オオミノガについて
  鱗翅目ミノガ科Psychidae1種,オオミノガ Eumeta variegata (Snellen, 1879)
 [属名としては,Clenia, Cryptthelea等が,種名としては japonica, pryeriなどがオオミノガに適用されてきたが
 variegataの模式標本(lectotype)に日本産のオオミノガの形態はほとんど一致するので,variegataを,
 また属名は私の見解によればEumeta を用いるのが妥当である]は,関東北部から琉球列島,対馬にかけて,
 日本列島南半部に広範に分布し、平地,特に村落,市街地など人工ないし半自然的環境の疎林的(庭園,街路樹を含めて)
 植生に適応した種である.
  本種は,その分布の北限地域を除いて,ごく近年までどこでも極めて普通の種で,その個体数の多さは,
 樹木の葉および果樹の若い果実の園芸害虫として問題にされるほどであった.
    (補足)「ハエ学」篠永・嶌によると,1983年に大阪でオオミノガの寄生者が調査されたとき,
       オオミノガヤドリバエは見つからなかったそうです.(金井)

 本種の個体数は年によって変動する傾向は見られた.特に,梅雨の長雨が続いた年や,8月頃に風の強い台風が
 襲来した年には,オオミノガの個体数が大変少なくなる傾向があった.
 これは,孵化直後の幼虫が,長梅雨で樹皮などが濡れていてこれに体を取られ,またミノを作る作業が
 できなかったことが原因であろうかと推論している.
  一方,強風を伴った台風の場合には,ある程度成長したミノムシが,食樹から吹き飛ばされてしまって,
 個体数が減少したのではないかと考えている.しかし,いずれの場合も絶滅状態になったことはない.
 初秋から秋にかけて十分成長したオオミノガの幼虫は,蛹化のためのミノの固定を完了し,老熟幼虫の状態で
 上を向いてミノの中で越冬する(これが冬に私たちが枯れ樹枝に目にするミノムシである).
 これは翌春5月ごろから蛹化し,6月に成虫が羽化し,直ちに交尾,産卵する.
 同月中旬から7月にかけて1齢幼虫が艀化して,これが,吐糸による空中分散を含む分散をして,
 食樹などに定着し,そこでミノを作成し,以降その樹木を中心に食害する.この幼虫はその後急速に成長して,
 初秋から晩秋にかけて老熟し,顕著な紡錘形のミノの前端を細く柄状にくびらせて,
 細枝などに環状に吐糸してこの柄部を連結して,ミノを完全に垂直に垂下した状態で翌春まで休眠状態に入り,
 翌5月そのまま蛹化する.
なお,はこのようにミノを秋に固定した直後にもう1度脱皮して,
 と外観の異なる終齢幼虫になり,以降は摂食しない(の終齢幼虫では,腹部の皮膚が柔らかな茶褐亀ないし暗褐色,
 頭部の逆Y字型の縫合線も白味を帯びる;の亜終齢では腹部は黒色でクチクラは厚く,頭部もクチクラが硬く,
 全体的に茶褐色;すなわち,固定後のミノには,大型で,皮膚が黒く厚い幼虫の入った大型のミノ(),
 と小形で,皮膚が茶褐色ないし暗褐色で柔らかな幼虫が入った小形のミノ()の2種類が区別できる.
 また,の亜終齢の脱皮殻は終齢幼虫が摂食するので,のミノの中には脱皮殻はない).
 このように本種は基本的には年1化の昆虫で,稀に晩秋に羽化することもあるが,
 この第2世代の子が越年できたという記録はない.


2.オオミノガとチャミノガ
  日本列島には,本種と紛らわしい種としてチャミノガ Eumeta minuscula But1erがある.
 この種では,成長した段階のミノが円筒形で,全長を通じてその直径があまり変化せず,
 またミノ本体の長さほどの細い枝をびっしりと平行的にミノ表面に密着させること,および,蛹化のためのミノの固定方法が,
 ミノ前端の円形の開口をガマ口のように直線状に合わせて,直線状部の両端を特に強く枝や葉の中脈などに吐糸で固定すること,
 そのためにオオミノガに見られるような柄部を欠き,ミノ前端の太い部分が直接枝や中脈などに密着すること,
 およびミノはこれらの固定部にたいして45度前後の角度で傾斜すること(時にはミノの後端が上を向くことさえある)で,
 老熟段階のミノは容易にオオミノガのそれと識別できる.
 また,本種は基本的には年1化で,盛夏に成虫が羽化することとも相侯って,幼虫は晩秋でも十分成長せず,
 ミノのサイズも1cm前後で小形,かつ長円錐形の形状である.ただし,チャミノガは,オオミノガほど周年経過が斉一ではなく,
 かなり成長した幼虫で越冬する個体も決して稀ではない.そのために,越冬時点では両種のミノのサイズが
 あまり違わない場合もあるが,成長したチャミノガのミノは小枝を多数縦方向に密着させていること,
 オオミノガのミノは小枝を用いてもその数は少なく,また,老熟体勢のミノは前述の通り,顕著に紡錘形で,
 上端が柄状にくびれており,環状に小枝に巻き付いた吐糸に接続しているので,両者の識別は容易である.


3.オオミノガの寄生バエの発見
  オオミノガは前述の通り日本列島南半部ではごく普通の昆虫であったが,
 1995年初秋に,九州大学大学院比較社会文化研究科の嶌洪教授および同研究科大学院生の舘卓司君が,
 オオミノガの幼虫の寄生蝿調査をすべく,福岡市内(市街中心部の公園も含む)から,本種のかなり成長した幼虫を多数採集して
 飼育した結果,これらの材料に極めて高い寄生率(90%以上)でヤドリバエ科(Tachinidae)に属するハエの1種,
 Nealsomyia rufella (Bezzi, 1925)[オオミノガヤドリバエ,仮称]が寄生していることが判明した.
 これらの結果は,同氏らによって,日本昆虫学会第56回大会・第40回日本応用動物昆虫学会大会の合同大会において
 一般講演として発表された(舘.嶌,1996).また,新聞.TVなどでもこの問題が取り上げられた
 (夕刊読売新聞,1997/4/21).
  同氏らの講演や新聞記事,その後の観察によると,本種のは,摂食活動中のオオミノガ幼虫のまわりの葉に集中的に
 微小卵を産卵する.産卵された葉の部分をオオミノガの十分成長した大型の幼虫が摂食すると,
 これらの卵の1部は幼虫の大顎の隙間で破壊を逃れるものがあり,これがミノガ幼虫の消化管中で孵化して,
 ハエの1齢幼虫はミノガの体腔内に侵入する.これらの幼虫は十分成長すると,ミノガの幼虫の体内から脱出して,
 寄生したオオミノガのミノの内部で囲蛹になり,引き続いて羽化し,ミノの下の開口部などから脱出する.

 このヤドリバエは,従来日本列島ではオオミノガに寄生することは全く分かっていなかったばかりか,
 ハエそのものも日本から未記録であった.寄生されて,死亡した時点でのオオミノガの発育段階はいずれもかなり
 大型のものであるが,ミノのサイズおよびその厚さから判断すると老熟体勢に入っている個体もあれば,その段階に達していない,
 すなわちミノはやや小型で,薄く,明らかに老熟に向けて摂食活動が旺盛な個体も多数含まれていた.
 このようなハエの高い寄生率による寄生状況は,その年の秋の段階で福岡市に限らず,熊本,鹿児島,岡山,京都の各市でも
 著しい寄生が確認された
(舘・嶌,1996;夕刊読売新聞, 1997/4/21).
  また,1頭のオオミノガに対するハエの寄生数は変化があり,ハエが1頭のこともあれば数十頭の場合もある.
 当然寄生数が多いとハエのサイズは小形になるが,このような1頭の寄主にたいして著しい繁殖力を持っていることも,
 本種の特徴であろう.


4.福岡市におけるオオミノガの絶滅への経過
  福岡市では,嶌洪教授,舘卓司君および筆者らの観察によると,その翌年(1996年夏〜秋;すなわち発見された年の世代の
 次の世代)にはオオミノガはほとんど絶滅状況になり,極めてまれに幼虫が見いだされた(確認数1♀老熟個体:市南部).
 同年初秋には,舘君が福岡県宗像市の宗像神社で,また筆者とミノガを研究している私共の大学院院生の杉本美華さんが
 九州自動車道北熊本下りサービスエリアである程度(狭い範囲を調査して30頭ほどの個体を確認できた)の数のオオミノガ幼虫を
 確認したが,これらの材料からもこのヤドリバエが羽化した.そして,オオミノガの1997年の世代(1998年に羽化すべき)は,
 福岡市周辺から完全に消えてしまった,といえる状況になった.すなわち,福岡市とその周辺を注意深く捜しているが,
 オオミノガの幼虫は全く確認できなかった.1996年の初秋にある程度の数の幼虫が確認された北熊本のサービスエリアでは,
 次世代にあたる1997年から1998年にかけての世代の幼虫は,1998年の3月段階では全く確認できなかった.
 すなわち,ここでもおそらくこのハエによる前年の寄生で,個体群を全く維持することができなかったといえる.
 なお,このハエは長年オオミノガに注目している筆者にとっても,従来全く気づかなかったものである.


5.他の地域での状況
  もうオオミノガが見られなくなったという様々な情報は,福岡に限らず,東京,大阪,名古屋,神戸,北九州などの
 各都市から入って来ている.これらの地域の多くでその原因としてこのハエの寄生が確認されている.
 一方,まだオオミノガが生きている地域も見られる.1998年の冬から春にかけての情報としては,以下のものがある.

   1) 茨城県つくば市農環研のあるこの地で,私共の大学院院生の松本吏樹郎君は本種の生きた老熟幼虫を1頭採集している.
     しかし,この1頭しか見なかったということである.
   2) 未発表のデータであるが,兵庫県立人と自然の博物館の中西明徳教授は県内の中学校の教師を対象に,
     昨秋からオオミノガの生存の調査を行った.その結果,いくつかの地域で本種の生存が確認されている.
   3) 中西明徳教授によると,兵庫県北部には,このハエが侵入していなくて,オオミノガが健在な地域が確実にある.
     この状況は昨年羽化する世代も,本年羽化する世代も同様である.これは私も確認した.
   4) 徳島県立博物館の大原賢二学芸員の調査によると,1998年の春に徳島県徳島市内ではオオミノガのミノは
     依然として観察できる.しかし,大部分のミノ(当年羽化すべき世代)はこのハエの寄生を受けており,
     ごく少数のオオミノガの生きている幼虫が存在する.この状況は福岡市における発見年の状況とよく似ており,
     もし福岡と同様な経過を辿るとすると,この地域でも本年を限りに,オオミノガはほとんど絶滅してしまう危険性がある.
   5) 大原賢二氏の照会で,調査した高知大学の荒川良助教授によると,大学の周辺ではすでにこのハエが入っており,
     ほとんど寄生を受けているという.この状態は徳島市の状況か,それよりさらに進んだ状況ともとれる.
   6) 大原賢二氏の照会で,調査した香川県高松市の増井武彦氏によると,同氏宅の高松市扇町の庭の樹木では,
     オオミノガの幼虫がかなり健在であるが,採取したミノの3割ないしそれ以上がこのハエの寄生を受けている.
     この状況は徳島市や福岡市の初年度の状況よりはまだ悪くはないが,ハエが侵入している以上,
     福岡と同様の経過を辿るとすれば後2年オオミノガの集団が維持できるかどうかという前兆である.
   7) 沖縄本島では少数ではあるが,1998年に成虫になるべきオオミノガの幼虫が採集されている.
     ハエの寄生は知られていない.
   8) 台湾でも沖縄と同様である.


6.オオミノガヤドリバエについて
  このようにオオミノガをほとんど絶滅状況に陥れているオオミノガヤドリバエは一体,いつから,
 どのようにして日本に現れたのかという大きな疑問がある.まず,福岡で発見されたオオミノガに寄生するこのハエは,
 ヤドリバエ科の分類学の権威である嶌教授によって, Nealsomyia rufella (Bezzi, 1925)[ネアルソミイア ルフェラ]と
 同定された.本種は,東洋区双翅類カタログ(Acatalog of the Diptera of the Oriental Region
 第3巻(P692)によると,Bezzi1925)によってExorista corvinoides var. rufella の学名の元に,
 マラヤのクアラルンプールから記載されたもので,後に同じくマラヤから記載されたExorista quadrimaculata Baranov,
  1934や,北ベトナムのトンキンから記載されたAlsomyia indica Villeneuve, 1937も同一種で,rufella の同物異名である.
  また,本種はセイロン,インド,中国,マラヤ,スマトラ,タイ,及びベトナムに分布すると示されている.
 嶌教授の御教示によるとこれらの地域でも,ミノガの寄生バエとして知られているとのことである.
 一方,中国科学院動物研究所の超建銘博士から嶌教授に宛てられた連絡によると,中国では,オオミノガ
 (Cryptothelea variegata Snellen の学名を使用)の天敵による駆除の目的で,中国南部の省から北部の山東省に,
  Nealsomyia rufellaを導入して,867%という高率の寄生の結果を得ているとのことである.
 また印刷中の同博士の著作中で,
     オオミノガが日本と極めてよく似た生活環を持つこと
     ハエの発生回数は年34代であること,
     ハエの幼虫は寒さに弱く,6-7℃の恒温条件下で3週間放置すると羽化率は5075%に低下し,
        この弱い耐寒性のために,北緯35度を境にそれ以北の,最低気温が0℃前後の地域には生息できないこと.
     ハエの幼虫はオオミノガの越冬幼虫の体内で1齢幼虫の状態で越冬すること,
     これが翌年5月中旬一7月上旬にかけて成虫になって活動すること,
     2化目以降の世代が8月上旬より発生すること.
     の産卵数は最大500卵ほどに達すること,
  などを記述されている.


7.オオミノガヤドリバエの疑問点
  突然に現れ,そしてたちまちにして福岡などのオオミノガを絶滅に追いやったこのハエについては,
 ミステリーが多い.その点について触れておこう.
(1)どこから来たのか.
    すでに述べたように,オオミノガの生態や天敵を調査した研究者達にとって,このハエは従来全く知られていなかった
   もので,最近突如現れたとしかいいようがない存在である.しかも,発見年にはオオミノガはそれほど少なくなかった
  (例年に比べて特に著しく少なくはなかった)福岡市のオオミノガを,たった1年でほとんど絶滅に追いやったのであるから,
   これが長年福岡にいたと考えるのは不自然である.もし,そうならば,このハエの個体群を低くする要因がかつてあって,
   それが近年急激に消えて,ハエが突発的に大繁殖を開始したと解釈するしかない.しかし,そのような想定をする根拠は
   まったくない.とすると,ここ34年の間に突如福岡に現れ,著しい繁殖力によってこの地のオオミノガを席巻して行ったと
   考える方が,より妥当な推論と思われる.となると,日本のどこかにかつてからいたと推論するのも無理がある.
   消去法でこのハエの日本における出現の起源を考えると,前記した中国山東省の移入の記録が生きてくる.
   超建銘氏の著作によれば,中国山東省では1990年から1992年にかけて,このハエを野外に放飼する試みが行われた.
   大胆な想定かも知れないが,この山東省の集団に由来する個体が,
     アー自力で中国から九州に飛来した.
     イー航空機などの室内に入って侵入した.
     ウー貨物などにオオミノガのこのハエに寄生されていた休眠幼虫のミノがついていて,
       これから生じた成虫が日本で活動を開始した.
   などの可能性が疑える.アとイは交尾したが渡来しなければならない.アの場合は,果たして幾時間か,
   飲まず食わず,相当の距離を飛翔する必要があるので,果たしてそれに耐えるか否か,
   またそのような移動性があるか否かが問題になる.イの場合では非常に活発で明るい場所を好むこのハエが,
   暗い乗り物に侵入して運ばれる可能性があるかどうかが問題になる.
    これらアやイは実際の状況としてはあまり起こりそうもない.ウは本種が両性生殖をする昆虫であるから,
   一定数の個体が同一地域で発生する必要があるが,前述のようにこのハエは一個のオオミノガのミノ中に
   数十頭の囲蜻があるくらい,密度の高いハエであるから,ウの可能性はある程度考えられる.
   もう一つの可能性は,最近花卉類がタイなどから日本に輸入されてくる.このような植物の葉に,
   このハエの微小卵が産卵されていても,これをチェックすることは不可能に近い.
   とすると,このような卵のついた葉を日本でオオミノガが摂食したとすれば,日本で本種が定着するチャンスがあり得る.
   同様な可能性は,山東省からの植物についてもいえるであろう.また日本各地に今広がっているこのハエの,
   個々の地域集団の由来を考えるためには,日本各地のハエを集めて,その遺伝的な多様性をミトコンドリアDNAなどを使って,
   検査することも重要な調査事項である.
    突然の出現と,瞬く間に日本列島のオオミノガを席巻するような勢力ののばし方を考慮に入れると,
   このハエは何らかの方法で,ごく最近日本に渡来したと考えるのが妥当と思われる.鹿児島,熊本,福岡,岡山などの
   いずれが最初の侵入地であったか,という疑問について答えるデータは今はない.ただ,福岡での消長を考えると,
   四国の状況は,福岡より12年遅れての侵入であると判断するのが妥当な推論であろうと思われる.
(2)寄主の達択性が著しく狭い.
    このハエの寄主は,日本ではオオミノガ1種だけである.
   日本列島のミノガの中で,オオミノガに最も近縁な種の一つであるチャミノガにも寄生していない
   (対馬にはチャミノガよりオオミノガに近い別種と考えられるミノガが分布しているし(清野,1976).
   また九州(多分鹿児島)から記載されたEumeta kiushuana (Yzaki,1926)もオオミノガに近縁であるが,
   現在は確認されていない).チャミノガは,7月頃にはこのハエが寄生できるサイズである終齢幼虫になるので,
   この頃はハエもいるし,卵も葉に産卵されているであろうから,当然寄生を受けうる状況である.それにも拘わらず,
   チャミノガにはこのハエは全く寄生していない.すなわち,少なくとも日本では,記録された限りでは,
   このハエの寄主選択性は最も狭く,オオミノガただ1種にしか寄生していない.
    しかも,オオミノガの活動中の幼虫の周囲を特異的に俳個し,行動するといわれ,
   オオミノガとの密接な生態的関連を示している.
(3)世代はどのように維がれていくのか.
    中国山東省では,このハエの第1世代は,越冬したオオミノガから羽化してくる.
   その時期が5月から7月上旬までであるといわれる.このハエの寄生に適するサイズ(ミノムシが小形であると,
   ハエの微小卵がミノムシの大顎によってかみ砕かれてしまう)にオオミノガの幼虫が成長するのは8月に入ってからである.
   とすると,この間7月をこのハエはどのように生き延びていくか,という疑問が生じる.
   これは,おそらく越冬世代の56月頃に,樹木の葉に産卵した場合に,この微小卵が葉の上で1ヶ月ないし1ヶ月半の間,
   生き延びることが可能であれば,その頃までに成長したオオミノガの大型の幼虫によって,葉と共に嚥下され,
   第2世代を作り出す可能性が生じてくる.文献によると,本種と同様な微小卵を産むカイコノクロウジバエの卵は,
   産卵後40日間は生存可能で,30日間であれば十分寄生可能であるという.
   この生存可能期間はちょうど,オオミノガの幼虫が寄生可能サイズまで成長する期間にほぼ相当する.
   もし,オオミノガヤドリバエの卵がこのような期間生存可能であれば,オオミノガだけで世代を永続的につなぐことの
   できる可能性があるといえる.


8.オオミノガはなぜオオミノガヤドリバエによって絶滅されるのか
  福岡を始め日本列島の各地で,オオミノガがこのハエの寄生によると思われる状況下で絶滅に瀕している.
 信じがたい思いであるが,あれだけ普通であったオオミノガがまさに絶滅危惧種になっているというのが現状である.
 一般に,捕食者と被捕食者,寄主と天敵の個体数の関係は,捕食者や天敵が被捕食者や寄主を絶滅させることなく,
 寄主などにやや遅れた位相で個体群のサイズを増減させるのが普通である.しかしこのハエの場合,状況は全く異なり,
 寄主であるオオミノガを絶滅させ,それと共にハエもいなくなってしまう.これは,
   (1)このハエの寄生が極めて適応性に富んでいて,1頭の寄主に対する寄生数も著しく変化があり.
     数十頭以上のウジが1寄主に寄生できるので一気に個体数を増やすことが可能である
   (2)産卵数が著しく多い
   (3)卵が葉の上で長期間生存可能であると考えられる
   (4)寄主はオオミノガだけである
   (5)オオミノガの発育段階が野外で極めて斉一である等の条件の下で,
     オオミノガに徹底した寄生を行っている結果であると思われる.

  オオミノガの幼虫が,このハエの寄生から逃れるすべがなく,徹底的に寄生されてしまう条件があると考えられる.
 生物農薬的,あるいはそれ以上の強い淘汰圧となって,このハエはオオミノガの前に立ちはだかっているように思える.
 共倒れ型の寄生をされたオオミノガはいい迷惑である.このような状況の下で,オオミノガがこのハエの寄生圧から
 部分的に逃れて,生き延びるにしても,それが可能な環境は,本来オオミノガの密度が極めて低く,
 かつハエがほとんど進出しないというような,かなり特殊な(例えば照葉樹の原生林)環境であろう.
 私はかつて,佐多岬が現在のように観光開発される前に,鬱蒼と森林で覆われた岬の先端近くの佐多神社境内で
 少数のオオミノガのミノを確認したことがあるし,このほかにも,自然林の中で少数のオオミノガのミノを観察したことがある.
 本種の本来の生息環境はこのようなところであって,市街地周辺で著しく多いのは,特殊な状況であるとも考えられる.
 日本列島におけるオオミノガとこのハエの生態や寄生関係に関するこのような状況を考える上で,
 このハエの本来の分布地域での,寄主と寄生の状況は大変興味があるところである.
 そこでは,当然,ハエとミノガ類は共存しているであろう.また,オオミノガの近縁種も多いはずである.


9.オオミノガの復活の道
  このまま手をこまねいていると,オオミノガは絶滅しないまでも著しく個体数を減じる.
 本種のは翅も肢も退化しているので,分散はもっぱら1齢幼虫に依存している.現在のように,集団を分断,
 絶滅状況にされると,たとえ極めて少数のものがどこかで生き延びていたとしても,
 それがかつての勢力圏を回復するにはかなりの年月を必要とするように思われる.
 このような回復のプロセスの研究も生態学的には大変興味あるところである.
 もちろん,今ハエが入った地域での,ハエとオオミノガの生態学的な関係の研究も重要である.
 しかし,現状をそのまま放置すると,各地でオオミノガが本当に絶滅する可能性も否定できない.
 オオミノガは害虫ではあるが,その被害は著しく人の生活に影響するものでもない.
  一方,冬の梢にぶら下がるミノムシや,糸を引いて揺れている活動期の若い幼虫の姿などは,一つの風物詩でもある.
 この虫が絶滅するのを放置するのも,ちょっとどうかと思われる.とすれば,何とか回復の可能性を探る必要がある.
 その場合,絶滅に瀕した地域で,残存しているオオミノガを探り出して,これを元にして集団を回復させる事が可能であろう.
 本種の人工的な交配は極めて容易である.オオミノガのは成虫になるときに,蛹の前端部を破壊する.
 そして,普段はこの蛹の殻の中に収まっている.夕方になると,体の則端部(頭部と胸部あたり)を
 ミノの下の穴から外に乗り出させる.その時に,の体から脱落した黄色みを帯びた粉状のもの(鱗片の変形物)が
 ミノの下の孔の周囲にこぼれるように付着する.このことで,の羽化(といっても,翅はないが)が確認できる.
 羽化したオオミノガ3週間ほどミノの中で十分生存可能である.
  一方,は蛾で,寿命は数日以内で,食物もとらない.の近くにのミノを持って行っただけで,
 交尾しようとしてのミノに歩いて移り,腹端をのミノの孔に差し込んで交尾し始める個体もある.
 またを指で持って,その腹部の先端を,羽化しているのミノの下の孔に差し込むと,後は自動的に交尾をする.
 交尾は20分以内で終わる.その後,は自分の蛹殻の中に2000個から3000個の卵を産む.2週間くらいで幼虫が艀化し,
 これらはコルクとか柔らかい樹皮などの上に置くと,まもなくこれらの素材を用いて小さいミノを作る.
 これらをハエから隔離された食物と環境で飼育すれば,かなり多数の次世代が得られる.
 これらを放飼することで集団の回復が可能かもしれない.福岡のように,すでにミノガもハエもいない地域で,
 上記の処置を施せば,ハエの寄生を受けることなくオオミノガのコロニーを作ることが可能であろう.
  しかし,ほとんど絶滅した地域では,再生の元になる生きたオオミノガの個体を捜すことは極めて困難である
 というのが現状である.そのような状況の場合,安易に考えつくのは,絶滅していない別の地域からオオミノガを持ってきて,
 移植するという方法である.しかし,オオミノガはおそらく日本列島にかなり古くから定着していた昆虫のように思われる.
 もしそうならば,集団は地域ごとに遺伝的特異性を持っている可能性がある.
 その場合,蝶類で無差別的な放蝶が問題になっているように,本種でも異なる地域の集団を移植させることは,
 様々な観点から複雑な状況を生じる可能性が高いので,避けるべきだと考える.

 このように,オオミノガは安易に他の地域に移植すべきではないように思える.
 当面は各地で,その地に残った個体を網室などを使って,飼育し,野外でミノガもハエも絶滅した段階で
 これを放飼するというのが,適当な方法ではなかろうか.


付記:この私信情報はオオミノガの現況を各地で調査していただいた方々に,
  本種とヤドリバエの関係を簡潔にお知らせする目的でまとめたものである.
  ここに盛られている内容,特にヤドリバエ関係の部分は,嶌洪教授,舘卓司君から教えていただいたものが
  多いことを付記しておく。

参考文献
1
.舘卓司・嶌洪,1996.オオミノガの幼虫に寄生する日本未記録のNealsomyia 属の一種(Diptera Tachinidae).
        日本昆虫学会第56回大会・第40回目本応用動物昆虫学会大会合同 講演要旨:193
2
.ミノムシ姿消す 九大院生ら調査 外来のハエ寄生し死滅.夕刊読売新聞(?福岡版)1997年 (平成9年)421日.
3
Croskey RW1977 Family Tachinidae. in DelfinadoMD.&DEHardy (editors). A
         Cata1og of the Diptera of the Oriental RegionvolIII586-697
4
.清野昭夫,1976.対馬のミノガ科について.対馬の生物:449-454


追加情報(大原さんからのメール)
  この前お送りした三枝(サイグサです)先生のオオミノガの話ですが,あれを書かれたのは1998年ころだったのでは・・
 と思いますが,あの時点で一番問題だったのはハエの生活史でした.
  嶌さんにそのころの10月の学会であったときに,初めてハエの標本を見せてもらい,
 「これは和歌山(だったと思います)の人からもらったのだけど,先日ミノを採ったらでてきたというのよねー.
 秋までにはみんな親になってしまうのだろうねー」ということで,オオミノガの幼虫が老熟する秋頃には
 ハエはほとんど成虫になって出てくると考えていました.
  ただ,九大で舘君がハエを出したのは越冬状態のミノからですから,ミノの中で囲蛹状態で越冬しているものも結構いる・・
 という考え方でした.まだその時は生きたオオミノガの越冬幼虫の体内で,幼虫のまま入っているものがいるとは
 私は思っておりませんでした.九大勢は何しろそれ以降幼虫を手にしておりませんから何も調べられなかったのです.
  私がこちらで調べ始めたと同時に,高知大学の荒川君をたきつけて,高知県の様子がある程度わかってきたころ,
 彼の所の学生の卒論にさせようという話になりましたが,私は心配したのです.何しろ年に1世代の虫で,
 しかも1−2年で絶滅する可能性もある虫ですから,ヘタにテーマにさせて卒論にならない可能性もありましたからね・・
  ところがどっこいで,高知県ではあちこちで見つかる上に,なかなか全滅するようなことがないのですね.
 2年後くらいにわかってきたのは,三枝先生が書いておられるように,大きくなったオオミノガの幼虫が卵を食べる
 ということではなく,2〜3令の小さな幼虫でもハエの卵を食べさせられるとちゃんと寄生されるということでした.
  ですからオオミノガの幼虫が出てきて摂食する6月ころからはちゃんとハエは寄生できるということでした.
 もちろん育つハエの幼虫数は身体に応じて1−2頭というものが多いそうです.
 この部分が九大勢はまったくテストできないことでしたので高知大学の勝ちでした.
 といってもこの内容を発表したかどうか知りませんので,引用できるものがあるかどうかは荒川君に聞いてみます.
  ただ,この場合でも春先に成虫になったハエは最低1−2ヶ月は生き延びておかねばならないことになるような気がします.
 野外のハエがいつ成虫になって羽化するのかはまだはっきりしていないと思います.室内に置くと3月頃には出てしまいます.
 オオミノガが産卵するのは5月中旬以降ですから,それに合わせている可能性は高いですが・・
  それと高知県でなぜこれだけ残っているのかということですが,他の場所では調べようが無くなっているので
 何ともいえませんが,高知県ではハエの二次寄生者が結構出ているのです.つまりオオミノガヤドリバエの寄生者である
 コバチやヒメバチなどが結構な率で出ており,ヤドリバエの爆発的な増加を防いでいるのではないかということなのです.
  このようなハチ類は徳島ではほとんど出てこず,なんで高知県だけがこういうことになるのかはよくわかりません.
 でも高知県ではオオミノガが絶滅する前に自然のバランスを保つ機構が働いた・・と考えた方がいいのかなーと
 荒川君とは話しております.
  自然というのはすごいものですね.普通はあり得ないような寄生法をとるバカなハエで,
 スペシャリストのくせに自分の餌を全滅させるような寄生者がいるのかなーと皆が不思議がっていたのですが,
 本来は高知県の例のようになっていくのが普通なのでしょう.
  都市化が進むことで成功したオオミノガでしたが,そこへ現れた自分だけを食べる敵の前に為すすべもなく消えつつあった・・
 そう考えると,都市部といってもそれほどまだ破壊のひどくない田舎の都市では,
 ちゃんとバランスを保つような生物が残っており,それが機能した・・ということになるのかもしれません.
  話はまったく変わりますが,先日オオミノガなどの敵という話が出たとき,書き忘れたような気がしますので・・・
  三枝先生がうちに来られて一緒に徳島のオオミノガを調べているときに,
 オオミノガの厚いミノでもある種の鳥には何にもならないそうで,種名をいわれたのですがはっきり覚えていなく
 申し訳ないのですが(ヒヨドリではなかったような気がする.ムクドリといったかなー?),
 何せ,結構な捕食量になるそうです.ミノを引きちぎって足で押さえ,クチバシで引き裂いて幼虫を上手に食べるのだそうです.
 下に引き裂かれたミノが結構落ちているんだよーということでしたので,鳥の捕食バカにならないようですね.


鹿児島でオオミノガを調べませんか?

1.オオミノガを探す:落葉樹は探しやすいが,なかなかいない.広食性なのでどんな種類の植物でも良い.
         むしろヒサカキやツバキ・チャなどの常緑樹の方が残っている可能性大きいかもしれない.

2.ミノガが生きているか?:羽化後も数年はミノがついています.しかし,風に揺れるようなものや,
         枝の前後が膨らんでいるものはもう中身が空の証拠です.
切って次の点について調べよう!

3.羽化したのか,寄生バエにやられたのか:羽化したオスならばミノの下端に抜け殻が外見上ついている.
         メスならば,中に空の抜け殻がある.

4.寄生バエは何匹出たか?:もしも寄生バエにやられたならば,そのハエの蛹殻(囲蛹)が残っている.
          数を調べて記録しよう!
5.寄生バエに寄生する昆虫が出てこないか?:高知県では寄生バエに寄生するコバチが出てきているそうです.
          徳島ではまだあまり見ないそうです.鹿児島はどうでしょうか?

6.もしも中身が生きているようならば,5月の連休明けぐらいに蛹化するはずです.
          そのあと,寄生されていたのかどうか確かめてください.
          また,4〜5月頃ケースの中で静かに置いておくと,もしかするとハエが出るかもしれません.


        注意!!:生きているミノを冬に取ると,失敗します.(大原氏談)
   『でももし,オオミノガらしきものがいたとしても,今の時は採らない方がいいのです.
   特にミノをちぎったりするとダメになります.今は幼虫で,春先に蛹になり,
   5月の中旬くらいに蛹化から羽化へとなります.今採ると動き回ってそのまま死んでしまうことが多いので,
   蛹になるまで待つのが一番だそうです.5月の連休明けの頃枝ごと採るとたいていは蛹で,であれば
   (ミノはよりはるかに小さい)有翅成虫が出てきます.』


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 金井賢一  viola-kk@po.synapse.ne.jp