大原賢二氏(徳島県立博物館)からの所見

 さて,「昆虫の売買」ということで,今なぜこのテーマを選んだのか,その理由と,これが同好会の例会で
議論をするようなネタかどうか,私にはよくわかりません.しかし,こういう議論をしておくこともいいことだとは思います.
おそらく個人レベル ではあまりにも考えがいろいろありすぎて(といっても賛成するか反対するかのどちらかでしょうけどね),
統一した見解というのはなかなか出せないし,たとえ出たからといって,それをどうする・・という性格のものでは
ないのでしょうね.
 また,自分の置かれている立場で大きく違っている場合もあると思いますが,同好会の一般の会員の方々にとっては,
それほど標本を購入するという人はいないのではないでしょうか.それとも私が知らないだけで,結構多いのですかね?
 二町(福田先生も)君のように,ある種にテーマを絞った場合にはかなり出てくるはずですが,多くの会員の方は普通には
そんなに気にしていない内容かもしれませんね.

 本題に入る前に私個人のことを書いておきます.
 私もチョウが好きで(当然,福田先生の影響ですけど),しかも一昔前の鹿児島の雰囲気ですから,高校生や大学の頃は,
交換すら嫌いでした.自分で採らなければいけないという気持ちが強かったのですね.ですから,そのころ鱗翅学会の会誌を見て
標本の販売リストが載っていたために,こんなくだらない学会など絶対に入らないと決めて,鱗翅学会には入っておりませんでした・・・
というくらいのもので,標本の売買なんてとんでもないというのが私の考え方の基本ではありました.

 ただ徳島に来てからは博物館の仕事としていろいろな資料の充実ということを目指していますので,かなりの文献や標本を
購入しています.もちろん外国産だけではなく,日本産も購入したりします.しかし,できるだけ県内のコレクションは
購入という形をとらないようにしております.寄贈の話を打ち上げると,他の人も地元の標本はお金にせずに,
本当に残したいという気持ちで博物館に入れてくれるからです.これは他の分野の資料の収集にも影響しますので,
すべてのモノがお金になるということにはしたくないのです.どうしても必要なら購入という方法もとりますけどね.
 日本の標本商については,現在では東南アジアの標本はほとんどのチョウや甲虫が入手できますが,昔はそうではなく
日本で実物を調べたくてもまったく標本がなかった時代に,何とか日本に標本がほしいという人たちが現在の標本商のハシリになって,
その後いろいろな人たちが後を追いかけた形になっていますね.

 博物館の人間として,日常的に標本を購入している立場からみるのと,ほとんどそういう場面に出くわさない個人から見ると,
どういうふうにそれが行われているのかどうか,それすらわからないのではないでしょうか.標本の購入も,大きく見ると
個人的なものと,公的な機関(主に博物館ですけど)が展示などに必要であるということで行われている比較的大きな購入とに
分かれると思います.公的な機関が標本を入れる場合,収集していた人が亡くなられて,その遺族がどこかにまとめて保管してほしい
ということで相当の価格での購入もあるし,あるいはそれを梱包・送料だけの経費での寄贈に近いものまであります
(もちろん寄贈もありますけどそれは売買にはならない・・ つまりはお金が一円も動かないので今回の場合ははずす).
 またそうではなくて企画展などで必要なものを,標本業者を通じて買う物もあります.どちらのどういうものを
問題にしたいのかによっては,そのような場合を除く・・的な注釈を付けることになるでしょうが,個人的な売買はダメで,
公的な機関だからいいという理屈が成り立つのか,そのへんの話しが出てくるととてもまとまらないでしょうね.

 私が博物館に来てからの話ですが,博物館でたとえば擬態の展示をしたいとすると,チョウのなかまではマダラチョウのモデルと
それをまねたアゲハチョウ科などの種の標本がほしいということになります.そのような場合に,パネルに写真という形ではなく,
どうしてもモノがほしいのですね.人が見るとき写真と実物ではその訴え方に大きな違いがあります.
博物館は標本(モノ)をベースに考えますから,まず実物を手に入れたいとなるわけですね.そのようなモノを自分で集めることを
その博物館が許してくれるかといえば,まずノーです.東南アジアなどへ出張させて,小さな島にまで行かせてくれて,
もしその時採れなかったらまた行かすなどということをすることは絶対にありません.誰か持っていないのか,
どこかに売っていないのか・・となるのです.もちろんそれが役所の論理としては正しいのです.出張で行かすとなれば,
すべてのことに県が(その博物館の設立母体が)責任を持たねばならくなるからで,もちろん自費で休みを取れば別ですが,
その場合でもそれほど長く休むことはまわりに迷惑をかけるのでなかなかしにくいですね.海外に比較的自由に行けるのは,
科研費に当たった国の機関と大学の職員以外ではほとんどあり得ないのです.

 そう考えると自ずと答えは出てきます.それを買えるところを探す・・そうすれば標本商が持っている.
おそらく数万円でかなりのモノが購入できるとなるのです.擬態などに使える種の標本はそれほど希少種というのはいなくて,
今もっとも面白いシロオビアゲハとベニモンアゲハのベーツ型擬態の進化を見せる場合ですら,
八重山や宮古,沖縄本島のシロオビのII型のメスとベニモンアゲハの標本をそれぞれ各島10個体もあれば話を作れます.
その種の標本の一頭が何万もすることはないので,沖縄に行くより結局は安くなるし標本商に標本があれば絶対に売ってくれます.
そういう調子で我々は標本商を使うし,向こうも需要に合わせてそれなりに標本を入手しているはずです.

 この話は材料が南米のモノとかになるともっとわかりやすいですよね.南米まで自分で行ってあれだけのモルフォや
甲虫など集められるわけがないのです.昆虫を展示に使う場合の一般の人たちへの魅力は何といっても形と色のすごさですし,
よく人は見てくれます.自然の不思議さを見せる絶好の材料ですよね.そういう意味での標本商の役目は大きいと思います.
これを外国の公的な機関と交換や購入のやりとりをするというのは大変なことで,その面倒くささに書類など作る暇があったら
展翅でもした方が早い・・というような調子になります.うちも南米とそういうことをしたことがありますが,
博物館長か県知事の書類が必要になってとても簡単とは言えませんね.ですから博物館の展示には世界のいろいろな昆虫は
無くてはならないし,その時の標本商の存在は大きな意味を持ちます.でもこういうことは博物館では結構ありますが,
大学,国の研究機関などではほとんど無いのではないでしょうか.個人は知り合いからでも,標本商からでも買えばいいことですが,
大学や国の機関にはそういうモノを購入する予算は,通常は付かないでしょうね.

 これだけ前書きで書いてしまうとほとんど回答してしまっているようなものですが,以下に金井さんが書いてくれた項目ごとに
私の考えを書いておきます.

>・標本商の歴史
 標本商というものの歴史となると,そういうものを研究したモノがあるのかどうか知りません.
でも今の大英自然史博物館のベースになった昆虫コレクションなどは,それぞれ有名な金持ちのコレクションで,
ロスチャイルドのコレクションなどがその代表でしょう.彼だけではなく,大きなコレクションを作った外国の大金持ちたちは,
そのすべて自分で採集したわけではなく,採り子をやとってあちこちに行かせたわけですよね.
もちろんイギリスのキュー植物のコレクションでも同様ですけど・・・こちらは採り子さん達がプラントハンターなどという立派な(?)
名前をもらっていますよね.昔はそれが当然だったわけで,自分であれだけのものをすべて採集するなどということは
まずできっこないでしょう.でもこの採り子たちが標本商といえるのかどうかなると,よくわかりません.
完全に個人に雇われてすべての採集品をその人に届けた人もいれば,これは珍しいものだろうから誰か高く買いそうな人に
売りつけようとする人が現れてきて,それが現在まで現地の採り子や標本商となっている場合もあるでしょう.
 昆虫ではないですが,映画のインディージョーンズのシリーズでは,いろいろな文物を彼自身は博物館に収蔵するためにやりますが,
まわりに出てくる人は金目当てで,金持ちに売ろうとする場面がありますよね.当然のようにそういうことが行われていたのだと思います.
 江戸時代の終わり頃から日本にやってきて,あちこちで採集してはオランダやイギリスを中心に日本の昆虫をヨーロッパに
持ち帰った人たちは多いのですが,彼らは自分が現地に行ったとしても,実際にはたいていのものをそこの住民や案内人に採らせて
それに対しては対価を支払っています.虫を持ってくる子供に対してもそうですね.ガロアムシに名を残し,
いろいろな昆虫の種小名にその名を残す有名なガロアさんは徳島県で採集した最初の外国人のようなのですが,
その時のことをかなり詳しく書いていて(正確にはガロアさんに会いに行った日本人がその話を書いている),
徳島県の木屋平村(こやだいらそん,剣山のすぐ近く)で何日も滞在して採集して(させて)います.
お金をいくら支払ったかまで記録しており,その標本は現在,北海道大学に入っています.
これは大学が購入した標本だと大原昌宏君から聞きました.
 また,シーボルトの持ち帰った膨大なコレクション(オランダのライデン博物館にほぼすべてものが残っている)の採集者は
正確にはシーボルト自身ではないですよね.ほとんどは多くの人から購入したものです.当然,彼らは自由に
日本国内を走り回れませんから,そうするしかなかった,というのも確かです.これは昆虫だけのことではありません.

>・標本の譲渡と販売の違い
 これは難しい表現ですね.譲渡をいうのをどういう意味に使い,販売とはどう違うと捉えているのか.
厳密に比べるとしたら,虫を売る行為によって,そこに利益を求めるかどうかなのでしょうか.
そしてそれで生活をしている人は販売業(いわゆる標本商)でしょうね.利益無しで原価あるいは無償で標本をくれる行為の多くは
譲渡でしょうから,こういう譲渡はそれほど問題にする必要はない(つまりは個人的には相当こういうことはあるのでしょうが,
別に表に出ることはないし,害にもならないと誰もが考えるでしょうから).ただ,日本語の「譲渡」には「無償」でないといけないという
意味はないでしょうから,行為そのものの違いとしてはほとんどないのではないでしょうかね.ものすごく細かく見ると,
譲渡の場合には不特定多数を相手にして,その旨を打診し条件の合うところに譲り渡すというよりは,やはり知り合いや,
公的な機関に対して話しをもっていく場合が多いのではないかと思います.カタログなどで譲りたいモノ(種)のリストや
価格を公開して行うのとは少しちがうでしょうね.
 私は知りませんでしたが,インセクトフェア,またはそれに類するものが始まってから,田舎(?)の虫好きが,
ただ好きで集めていたものが,そこに1〜2頭でも持っていくと,地域的な変異や産地を問題にする人から相当な高値で買ってもらえる.
そこで自分の持っているものの中からいろいろなものを出してはなにがしかで売り,その得た金で次の採集旅費を作る,と聞きました.
この行為自体をどう考えるか,これは非難する人もあれば,個人の自由だから非難はできないという人まで様々でしょう.
しかし,これが最近一番いろいろな問題を提起していることかもしれませんね.時々は天然記念物まで出てくる
(もちろん表ではやりませんが)ようですし・・つまり標本商でも何でもない一般の虫好きが簡単に昆虫の標本を売る場所が
提供されたということに始まり,そこでかなりの利益を得て,虫が金になると実感できるようになったということです.
それが商売にはしなくても毎回その地元産の昆虫を持っていっては販売するようになるらしいのです.
 ではこのようにいろいろな形での販売や有償の譲渡が悪いのかとなると,私はその行為そのものを非難することは
できないと思いますが,その辺の評価は人によってまちまちだと思います.

>・昆虫好きと昆虫マニア・コレクターの違い
 これも簡単には結論は出ないと思いますが,当然すべては”好き”から始まると思うのですよ.
その好きになり方が高じると,集めたいグループの種をすべて持っておきたいとか,数をたくさん持っておきたいとか,
いろいろな集め方がおこるでしょう.それを外部から見たときに,どぎつく集めていると感じるとコレクターと呼び,
適当でほどほど(ものすごく一生懸命な人も多いですけど),しかもただ集めるというだけではなく,
何か問題意識を持って調べるテーマまで持っている人だと”虫好き”あるいは”虫博士”などという柔らかい表現で
呼んでもらえるのではないでしょうか.これらはあくまでも外部からの呼び方になるような気がしますが,どうでしょう・・
 ただ,どんなことをしても集めたい・・という気持ちが強すぎると,違法行為や社会常識からはかけ離れたような
ことまでして採ることもあると思いますので,そこには自ずと生き物に対する感覚の違いは出てくるのかもしれませんね.

 ここに「研究者だからよくてアマチュアだからいけない」とかいう表現を持ち込むと話しはもっとややこしくなります.
「研究者」と「アマチュア」という言葉は対応しないと思うのです.プロとアマの違いは何かということが1970年頃,
生研や昆虫の部屋の学生ではよく話しに出たことがあります.結論は,単純に,プロとアマの違いは「虫を飯のネタに
しているかどうか」であって,それは研究者とアマチュアという区別と同義では無いということだったように思いますね.
つまり福田先生や二町君はアマチュアだけど研究者であり(つまりはそれをネタに飯を食っていない),
私は一応博物館の昆虫担当なのでそれなりのプロではあるけど,今は別に昆虫を一生懸命研究してはおらず,
単なる公務員にすぎないから研究者ではない・・と考えると簡単です.だから標本の売買とプロ,アマの違いとは直接関係はないですね.
 大学の先生たちは多くはプロで研究者ですが,そうではない人もいるのでは・・・?昆虫に限らず,いろいろな分野で,
大学の先生にも単なるコレクターだっているでしょう.アマチュアの研究家の多い昆虫や植物,貝類,化石など
同好会の多いグループを考えると,その分野でのアマチュア研究家の果たしてきた役割は大きいですよね.
何の役にも立たない大学の先生よりはよっぽどまし・・そういう人がいればの話だけど.でも大学の先生は人を育て,
学生を育てる・・そういう意味での評価はなかなかされないかもしれないですね.
 スタートとして,何かを知りたいという知的好奇心と,何かを集めたいという気持ちにどれほどの違いがあるのか
私にはよくわかりません.また,それ以後,虫を売ったりするような気持ちの変化がどうして起こるのか,
それは人が考えてもなかなかわからないことかもしれませんね.

 >・昆虫好きと標本商の違い
 これも難しい問題です.虫好きをどうとるのでしょう?標本商はたいてい虫好きですよ.
でも,標本商をやるには虫好きのままではいけない・・言い換えれば,標本商は自分が好きなグループを作って,
そのベストコレクションを作ろうとしてはいけないのだ・・といわれたことがあります.それはなぜかというと,
標本商が一番いい標本を最初に抜けるからで,確かにいいコレクションはできるでしょうが,外部の人,
顧客はそれではおかしいと思い始め,客足が遠のく・・つまり,標本商は成り立たないというのです.
自分はいろいろ興味を持っていて標本の価値を見抜く目を持ち,それをお客に提供していくのがいい標本商で,
自分がさんざんもてあそんで自分で楽しんだあと,お客に渡すような標本商は二流だそうで・・・確かにそうかもしれませんね.
現在,標本商としてそれなりにやれている人は決して自分のコレクションを作ろうとはしていないようです.
もちろん虫に関してはものすごく詳しいですけどね.

>・研究現場での標本商の必要性
 これは研究現場というのをどうとらえるかにかかります.本当に材料を必要とし,個人であろうと
(大学の先生一人一人を含む),組織(研究所など)であろうと,研究したいグループの材料がほしいというのは
誰もが考えることですよね.たとえば,チリにすむペーニャ(Penaこれは正しくはnの上にスペイン語の記号である〜マークが付き,
ニャーという発音になります)というおじさんはものすごい標本商で,カナダやアメリカの博物館に収蔵されている南米の標本の
かなりの部分をこの人が採集しているらしいのですが,どのグループの昆虫がほしいと言えばそれをちゃんと採る人だそうです.
北九州自然史博物館の上田君は,昆虫の祖先形に近いというカギムシをほしいと彼に頼んだらごっそり採ってくれたと驚いていました.
どんなものでも私に採れないものはないといってくるそうです.こういう人は地元の人ですから,ちょいと出かけて採集するような
旅行ではまず採れないようなものまで入手できるのですから,材料がほしい人にとってはそのような人の必要性があるかどうか・・
答えははっきりしていますよね.
 では大学はどうか・・残念ながら日本の大学でホイホイと標本を買う所など知りません(私立は別ですよ).
おそらく大学ではよっぽどのコレクションは別として,こういう身軽さで標本を買える所はないと思いますが,
そのへんは大原昌宏君に聞いてみて下さい.買うにしても多くは個人的な購入になるのではないでしょうかね.
それを大学に残すかどうかは知りませんけど.ですから大学には財産がなかなか残らない(?!).
 もう一つには大学の研究は(昆虫に限ってみると),組織で動くことはまずないですよね.個人的にあるグループや種を
テーマにします.そういうグループの標本は,ほとんどの場合,まず標本商では入手できないでしょう.
つまりは標本商や採り子にとって金にならないものだし,現地の採り子さん達にはその分類群や種はわからないものが多いと思いますね.
だから大学などでは購入を前提に分類群を選んだりすることはないはずですね.ただ,大きなコレクションがあって,
その中の標本を使える場合もあります.日本や外国のあるグループをとことん集めた人がいて,かなりまとまって集まっている場合には,
そのコレクションを入れれば使えますよね.その入手方法が寄贈であるか購入であるかは別として・・そういうコレクションが
大学にはいるのはまれで,たいていは博物館に入りますが,最近では,中根猛彦先生の甲虫のコレクションが北大に入りましたよね.
科博が入れられないのかどうかは知りません(?!)が,これだけのコレクションを大学が入れるというのはすごいことだと思います.
北大は偉いですよ.

 もともと標本を売買することに対して抵抗のあるのは仏教や儒教の影響なのかもしれません.欧米は初めからそうしたためか,
そういう問題を議論することはあまり無いのではないでしょうかね.もちろん希少種などは別ですよ.ワシントン条約なども
日本などの方がよっぽどルーズですからね.

>・野外での採集行動が問題になる時とならない時の違い
 これは一つには法的に規制がある場合には,行為そのものが問題になりますよね.どう文句を言っても法的に規制されているのを
無視してはかかれないでしょうから.もう一つは採集しようとする昆虫の現状によります.もし本当に限定された場所にしか
いないものをどんどん採っていったら,何の影響もないはずはありませんし,いつかは消えることでしょう.その状況を作り出したのが
虫屋でなく,環境破壊為だとしても,それから先をつぶす可能性は虫屋にも十分あると考えます.
沖縄本島の山原のテナガコガネなどは法の規制もあるのに密漁が後を絶たないということは間違いないことで,
これは結局自分のことしか考えていないバカどもです.地球の財産という気持ちにまでなってもらわないと
なかなか直らないことでしょうかね.こういうものはすでに何らかの法的な規制はかかっているはずですが,
それを無視する行為は虫屋そのものの首を絞めていることだと思いますね.

>・販売された昆虫が自然に影響を与えること
 販売された・・というのがどういう意味になるのか少し問題の設定が読みにくい所があるのですが,
もしこれが死んだ標本ならそんなに問題はないかもしれません.でも販売されるために採集すること自体で採集地(生息地)の
個体数が減り,種そのものやそこの地域の個体群に影響が及ぶような場合には,採集そのものをやめるようにしないといけないと思います.
販売を目的として個体数の少ない種や,生息地が限定されるような種に対してそれが行われるなら,それは大きな問題だと思います.
でも売るためでなく,個人的な収集にしても,そういう種をたくさん採ること自体は大いに問題がありますよね.
 今のところ東南アジア(台湾を含む)や南米などで,標本商にものすごく売られたからいなくなったというのはないと思いますが,
テレビなどでの密漁の報道などはどうもヤラセくさくてちょっと眉唾ものですよね.ただ,その国で規制されているようなことを
全く無視して採集したり,個体数の少ないものを,生息環境をこわす形で(クワガタムシの幼虫を朽ち木丸ごとこわして採集したり
するような)やりすぎると,それはそれなりに影響が出てくるかもしれません.私は向こうでの環境の復元力がどれくらいかを知らないし,
それほどの問題になるのか,またそこまでひどいことが行われているかも正確には知りません.ですからその辺は感覚でしか
物をいっていないと思って下さい.
 また,販売されたものが自然に影響を及ぼすことがあるとすれば,それは最近許された生きたものの販売です.
つまり外国産のものを平気で売れるようになったカブトムシ,クワガタムシではないでしょうか.カブトムシの場合には
何とかなるかもしれませんが,クワガタムシは日本でも生きられる種が相当いると考えられますので,その点は安易に外に
出すべきではないと誰もが思っているはずです.今や子供たちが外国産のカブトムシやクワガタムシを生きたまま持っています.
しかし管理となると心配な状況が多いですね.今年の夏にニジイロクワガタが徳島市内で見つかりました.
ここまでこんなムシが入っているかという意味で驚きでしたが,こんな珍しかったものがこんな田舎にまで生きたまま存在しているのです.
標本屋さんにいわせると,おそらく原産地のオーストラリアよりも日本の方がたくさんいるようになるのではないかと笑っていました.
 また国内のものであっても,もし蝶や甲虫をよそから持ってきて放すという行為であれば,それは種の多様性の保護ということが
日本でもちゃんとうたわれているのに,遺伝子の多様性を守るという意味では慎むべき行為です.
これは放蝶問題にまで話しが及びますね.

>実際の研究・展示には,どれくらい昆虫売買の役割があるのでしょうか?
>「絶対必要」「あると便利」「無くても良い」などの立場があると思いますが,
>できれば詳しくお聞かせ願えないでしょうか?
 これも研究をどうとるかということがまず問題です.たとえば福田先生や二町君がリュウキュウムラサキを対象に研究していますが,
その研究にはリュウキュウムラサキの分布域全域の標本や生きた材料もほしいでしょうね.ではそれを採りに自分たちで行くとしたら,
もし現地で数日使えるようにしたいとなると,一体どの季節に行けばいいのか,そしてどこに行けばいいのか,たとえ一つの島でさえも
難しくなりますね.そしてその費用がいくらになるか,こう考えるだけでもその島の標本をもし100個体入手するのに
1頭2000円としたら20万円ですよね.今20万円で東南アジアの,しかもかなり離れた島に行けるでしょうか.
私はそれくらいなら,購入した方が絶対にいいと思いますよ.ただ,これには絶対的な欠点があります.
生きた姿を観察ができないことと,産地や採集日時などの情報が絶対に信頼できるかどうかの不安です.
食草,吸密や交尾などの行動を見られないことや生息地などの情報は標本だけではどうしても入手できないものですね.
そこを突いてくる批評家もいますけど・・しかし,標本が無いよりはあった方が絶対にいい・・・これだけは間違いなくいことで,
そこに標本商の存在の意義のある人と,そうでない人の考え方の違いが出てくるのではないでしょうか.
ですからそういうテーマを持った場合には「絶対必要」といってもいいのではないでしょうかね.
 また,私は博物館の人間ですから,「展示には絶対必要」といいますが,実際には博物館の企画展示などでも,
チョウやカブト,クワガタムシを初めとする大型のモノは受けますが,ハチやハエなどはどれほど面白いテーマを組んでも
なかなかモノが小さくて展示には向かないことが多いのです.従って標本を購入したくても,こういう難しいグループの昆虫は,
少なくとも東南アジアの材料としては極めて不十分です.南米のPenaさんみたいな人がいないと難しいでしょうね.
ですから自分の研究テーマを,標本商を通じて購入した材料で行うということはまず不可能と考えた方がいいですね.
 大学・研究機関については別な項で書きましたのでそちらをご覧下さい.
 自分の研究対象を標本商の材料に頼れるのは鱗翅類の特に蝶類,それに甲虫目のいくつかのグループと思った方がいいでしょう.
博物館でもそれ以外のグループではとても充実したコレクションなど作りようがありません.
私はシュモクバエという目が左右に伸びたハエのなかまの標本を集めてみたくて,頼んだことがありますが,
向こうの人たちが金にならないと思うのか,実際にまったく採れないのか,ほとんど来ないということです.
現地に行って,こういうムシがほしいといって,生息地や環境,形態などを覚えさせるとそれなりに採ってくれるように
なるのだそうですが,うかつに「ハチやハエがほしい」というとミツバチや,スズメバチ,アシナガバチなどを巣ごとまとめて
採集したかのように同じモノが何百,何千,下手をすると何万頭もと来てしまい,どうにもならなくなるのだそうです.
そういう中からこれだけ要るという言い方では次回からは絶対に来なくなるそうで,そこら辺は標本商も実に苦労しているようですね.
本当に役にたつ採り子を育てられると,そこの業者はいろいろなモノを入手できるというので買う人の評価が上がるのです.

 さて,最後にあらためていわゆる標本商の存在について考えてみましょう.
現在,いくつかの標本商が東南アジアなどでやっているのは,シーボルトやガロア,ロスチャイルドなどの時代に
彼らがさせた標本の収集の方法の現代版というわけ(もちろんこの間に標本売買がとぎれた時代があったのではなく,
日本人が標本商の立場になったのがここ20年くらいというだけのことです)で,その行為自体を考えたとき,
シーボルトやガロアはえらくて,今,東南アジアでそれをさせている日本人たち,それを買っている日本人たちは悪いといえるのか・・
 昔,世界中の標本をどんどん手に入れて,ヨーロッパではかの有名なザイツの「世界の大型鱗翅類」が出版された
(完全ではありませんが).日本の標本商が入手した東南アジアの材料で「東南アジア島嶼の蝶」を作った日本人がいる.
ザイツの評価は今でもものすごく高く,本を購入することは現在では極めて難しいことです.ザイツはすばらしいが,
「東南アジア島嶼の蝶」はつまらないのか・・それとも標本の集め方が気に入らないのか・・
 さて,こういうことを考えてみると,皆さんは今日のテーマをどう考えますか.


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